誰かのための蜘蛛の糸

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「やがて君になる」は百合漫画の傑作だ

私は漫画をよく読む。面白い漫画もつまらない漫画もあるが、素直に面白いと思える漫画は少ない。感覚的には1%未満だ。

電撃大王で連載中の「やがて君になる」はこの数少ない面白い漫画だ。内容は恋愛物だが、女性同士の恋愛、いわゆる百合物である。

思い返して見ると、百合物は基本的に好きだ。10数年前にも「マリア様がみてる」にはまり、コバルト文庫の発売日を毎回楽しみにしていた。当時はまだ20代であったが、男性がコバルト文庫を買うのはとても勇気がいることであった。成年向けの本よりもずっと恥ずかしい。

マリア様がみてる」は、基本的には百合であって百合でない微妙なところがあるが、「やがて君になる」は完全に百合である。「百合」が何かという定義は考えたこともなかったが、ここでは女性同士の恋愛模様を描くことを主たるテーマとする創作物としよう。「やがて君になる」は、女子高生同士の恋愛である。関係は先輩と後輩。女子校などでは実際にもよくあるのかもしれないが、私は男性だからわからない。

恋愛物の漫画は、基本的に年をとるごとにつらくなってくる。というよりもただのノスタルジーに近くなり、憧れ的な要素がなくなってくる。漫画に限らず、創作物に対してわくわくする体験というものは、憧れが主たる要素であると思う。そして、憧れというものは、自分にとって分からなければ分からないほど良い。わかってしまうと、憧れはすっと現実に変わってしまうからだ。私が創作物に求めているのは現実ではない。ただ、わからないものであっても、もちろん、根本的な興味だけは必要だ。ゴキブリ同士に恋愛があったとしても根本的に興味がないため、わからなくても憧れるわけもない。

私は男性だから女性の女性に対する恋愛感覚はわからないし、そもそも女性自体もよくわからない。ただ、女性というものに興味はあるし、魅力的な女性は好きだ。女性という私にとって興味のある対象の、同性への恋愛感情という自分にはわかりようのない感覚を描いているものであるから、憧れないわけがないのである。

やがて君になる」は、好きになって欲しくない先輩と好きという感覚がわからなかった後輩の物語だ。先輩は自分のことを好きにならない後輩が好きであるため、後輩は好きになってたとしても好きと言えない、主として二人の関係だけで言えば後輩がつらい話になる。この設定だけで言えば、男女でも成立する。ただ、男女は恋愛関係に陥りやすく、他方、同性同士は恋愛関係に陥りにくいという偏見から、成立しやすくなっているだけのことである。

そういう意味では、先輩または後輩のいずれかを男性的に捉え直して、自分を投影すると通常の恋愛物のような気分として味わえそうな気もする。おそらく小説だとそのような方向に自分の思考が流れてしまいそうである。しかし、漫画は絵があるため、そこには可愛らしい女性しかおらず、自己投影する余地はない。自己投影ができないと、勝手にわかった気分にもなれないため、わからなさが減少しない。そのため、ふたりの関係への憧れ的な何かが継続し、結果として面白いという感覚を得られるのである。「やがて君になる」は面白い。心が動く。

男性がこの感覚を利用しないのはもったいない。「やがて君になる」はおすすめだ。